Somatic Education 問い合せ 更新日 2005-11-13
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Eさん(20代女性)の「SIの体験談」(本編)

私は、まずフェルデンクライスを関西で受けられるところをインターネットで探し、寛さんのHPにたどり着き ATM を受けました。

初めてお会いした時、なんとなく、すごく違和感がなかったです。

ATMの後、京都御所に連れて行っていただいて S.I. のお話を聞きました。 その後 なんかどうしても、寝ても覚めても(本当) S.I. のことがひっかかり、HPの内容を見てみたら これは受けなくちゃ。。。と次のATMまで待てずにメールで申し込みました。

2005,8/23一回目

実は道に迷って駅から50分くらいかかって辿り着いていました。。。 寛さんのうちは寛さんのうちっぽかったです。 家って住んでいる人に似るんでしょうか?

S.I. 1回目も 寛さんのATMを初めて受けた時も会話の中でよく「何も謝る事はない」と言われました。「ああ、あたしはよく申し訳なく思ったり、私が悪いと思って物事を片付ける事が多いんだなぁ」と思いました。この時から、主に仕事場でですが理不尽な事、私が悪くない事には謝らないでいられる時間が増えて、だいぶと楽になりました。受け入れなくていいモノも受け入れて自分で苦しんでいたんだと思います。そうゆう わたしの些細な言葉も拾っていただけて 気づかせて頂いた。鋭いひとだなぁと思いました。

受けているときのお話が、私にたくさんの考えるきっかけを与えてくれました。

「学ぼうと思っていることを人は学んでいく、学ぼうと思っていないことを学んでゆくのは あまりない」という言葉は これから何度となく思い出していく言葉になりました。

受けているときに 解剖の知識を教えていただきながら、それも教科書じゃない私の身体で実感しながら想像して動かしていく作業はほんとに面白くてワクワクしました。『ここからここまでこの筋肉なんだ〜!!!キラキラキラキラ☆』とか、嬉しくて嬉しくてうきうきでした。

あと「のびのびうごかす」という「のびのび」という言葉が気に入りました。

「本来はのびのび動ける」というのは「いつもコントロールして使って」、とか「縮めて」とかいう窮屈なものから開放されて「気持ちいいように動いていいよ〜」とゆうふうに言ってもらえた気がして嬉しがっていました。

受けた後は 肋骨(右側)の空間が増えて、自分の中の空間が広がった、いつもと違う違和感がありました。『やった。。。。』という思いと、『いいのかな、広がって』というような思いがありました。

びっくりしたのは お腹が長くなって、食べた時に腸が動くのをすごく感じた事です。 なんじゃこりゃ〜と思いながらも 面白かったです。お通じも抜群。
背中が楽になって 脊柱にカーブが出ました。1回目で。わたしはフラットバックだったので『うわーっ』て思いました。

座骨の下が長くなって座り姿勢が変わりました。座りやすい。

そしていつも化粧鏡が低くて、首をかなり屈曲させて鏡を覗き込んでいたのですが我慢できず、ダンボールの箱で高さを作り 首に優しい高さまで上げました。今でも毎回高さを作って使っています。こうゆうなんも、 S.I. 受けるまではどうにかしようと思えば出来たのにしなかった。というか気づかなかったことだと思います。

次の日

仕事でレッスンをしている時に いつもより笑顔が多かったんです。 脚もそんなに疲れずに あまりストレッチが要らなかった。

いつものストレッチの分の時間を私は他の事に使う事が出来て S.I. って身体は大切に使えるようになりそうだし、お金で買えない時間も手に入って、『これは。。。すごいものに出会ってしまった。。。』と思いました。

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2回目

脚の日でした。

脚の事は私は良く分からなくて 一番難しかったセッションでした。

仕事のとき

「自分で自分に抵抗をかけている」という言葉を思い出しはっとして『楽にー楽にー』と思ったら、エアロジョギングのクラスも心地が良かったです。ジョグ嫌いなのに。

寛さんが この頃の会話の中でよくおっしゃっていたのは「好きにしたらええんちゃう?」でした。で、それを聞いて ああそっか、好きにしたらいいんかと思って好きにしてたら身体が楽でした。そして姿勢を鏡で見たらさらにすごい脊柱Sカーブ!びっくり。

いつもちゃんとしやなと(このちゃんとも、なにを基準にちゃんとなのか。。。。あ、ピラティスの先生に言われた基準かな。とにかくあいまい)目で見て姿勢を矯正していて、その姿とカーブがあるこの時の身体とサイドビューが全然違って それにびっくりしました。

『なんやあたし、えらい頑張ってこれだけの姿勢を変えていたんだなぁ。』と思いました。私を押さえつけてまで 人の基準? か自分の頭の中のいい姿勢という基準に当てはめていたような気がして。。。。頑張りすぎ。 頑張っちゃう理由というのは、私は長女で「えらいな〜」って誉められて育ったから、何をやるにもたぶん頑張って「えらいな〜」って頭をなでてもらいたいんやと思います。

寛さんの言葉を反芻するように、ゆっくりくちゃくちゃ入れて出して入れて出してをしているうちにいつも『あ』と気づく事が多かったです。

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3回目

胸郭の日

この日は胸郭がでっかくなった日です。とにかく後ろ側(背中側の肋骨)がでかくなって嬉しかったです。

嬉しかったんですが、「自分の空間が広くなると世界も広がって、いい事も悪い事も起きる けども 広がるほうが面白いよ。狭い世界よりも」って言われて それは今でも心に残っています。でも、私の空間が広がっていけば、受け止めても受け流せる別の空間が出来ていれば、受け入れ対処が上手くなっていきそうな気がしたり、ちょっと 目をそらさないで受け入れるのが恐かったり、なんとなくそんなことを考えていました。

この次の日から、腕の上げ方が変わりました。(強調)

私がなにをどうしたんじゃなく(なので寛さんの技術。知らないうちに学習できていたら嬉しいけど)明らかに楽なんです。腕を動かすのが。

でも今思うとまだ変な事(余分な事)をしていて、なんとなくコツをつかみ始めた感じでした。

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4回目

脚が軽くなった日

私の外側広筋が結構裏側まであることを教えていただいて びっくりした日です。まさかそこまででかかったとは。

人間の身体って『教科書じゃ分からないな〜』と。 教科書じゃなくて私の体を使って私の身体の事を教えて頂けるのは本当に貴重で有り難い事です。

< <・・一部略・・> >

脚の動きが変わってきたことに気づいた日(翌日)

エアロの時にすごいすごいすごい足が軽かったんです。

エアロの動きで 前四つ後ろ四つというよく使うおきまりの動きがあるのですが、いつもの力でやったら前のめりになって走っちゃいそうなくらい、それくらい軽かったんです。

10キロだと思って物を押してみたら1キロで、『おおっ』と力が空回りしちゃったみたいな。 うきうきしていて『動きたい!』と思う自分がいました。

いつもはレッスン後のモップがけの時に、ほんまにしんどくてひきずって掛けていたのに、走って掛けていました。『こんな自分ありえへん〜』と思いながら笑って走っていました。嬉しくて。あと レッスンの中で間違えても、芯が出来ているからか、全然集中が途切れなくて 気にならなかったです。

思ったのが、わたしはやっぱり等身大以上に見られたがっていました。

私は私なのに。

この頃はいい顔もしないし、ぺこぺこもしないし、背伸びも、むりに等身大以上にも見られようともしなくなって、少しこだわりが少なくなってきました。

そうすると、楽しい。人と素でしゃべるのが 楽しくて。

1回目から、というかATM初めて会ってすぐにピラのことについていろいろお話してくださって、私の中でのピラティスに対する思いは どうなってるんだろう一体、と考えつづけていましたが、なんとなく『こうじゃないのかな。』という思いが形になってきました。

それは、寛さんの S.I. と 比べれたからだと思います。

きっと S.I. を受けていなかったら、いつ身体の事が分かるか分からない不安と戦いながら、時間とお金を使っていたでしょう。

寛さんは 明解 です。私が感じた寛さんのワークは、今やっている事をより理解させてくれます。反対の事もやって、今の事を気づきやすく導いてもらって、考えさせてくれて、やる中で「こうじゃない?」「こうしたら楽じゃない?」「こういうイメージでやってみて?」とヒントをくれて。で実際できたときに「そうや〜、これが○○(筋肉名だったり)」と言ってくれてそうなんやー!!!!と キラキラ になります。

上手く 導いていただいてるなぁと、上手く自分で気づけるように導いて頂いてるなぁと感じます。

だから受け入れて抵抗なく身に入りやすい。

人からのモノではなく 自分の過程 で、気づき方で、気づかせて頂いて学習できるから抵抗がなくて 学んだ事=喜び になります。

ここまでで身体がほんとうにいい方向に変わっていって、『こんなに変わっていいの?』と嬉しいけど不安になりました。

けど変われるチャンスを今頂けたという事に意味があるという事で、とても幸せを感じていました。そしてそれでいいんだと思いました。先の事は分からないけど、本当に今 幸せ という事でいいんだと思いました。 手(腕)の動かし方がさらに動かしやすくなっていました。

いつもより楽なのに、いつもよりもどんどん大きくキレイに動けるようになっています。

そして毎日脚が軽くなってゆきました。

見た目にはあまり変わりはないのだけれど 身体が深くなってゆく。

私に優しく(私が楽で心地いい)、人にも優しい身体(威圧感かなんかがなくなったのか、みんなが話し掛けてくれて笑ってくれて、けっこう素で話してくれて、私が人に与えていたストレスが少なくなったのかな?と思いました)になっていきました。

思えば 身体はいつも私を導いてくれていました。

摂食障害のときも、辛い時も、私の入れ物になってくれた身体に 深く感謝 しています。

身体をコントロールしなきゃと思っていましたが、お互いに知り合って感謝していけば、私と身体はすばらしい関係になっていくと予感しました。

身体を感じる事がこんなに気持ちよくて楽しくて 嬉しくて 有難いことを知れて 寛さんに 周りの全てに感謝しています。

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5回目

胸と大腰筋の日

大腰筋の位置を教えてもらう。『こんなにも脚が長かったなんて!』またキラキラ☆

膝の関節が大きい事にびっくりしました。こんなに大きいとは思ってなかったです。

膝をぷらーっとして歩くことを意識したら まえよりもすねの前が疲れなくなってきて快適でした。『わー こう動くものなんだ〜』と、『重く使っていたのは自分だったんだ〜』という感じでした。

息を吸い込んで止めて 膨らませたい所を膨らませるのは 面白かったです。

『これをいっぱいやったら膨らむかも!』と思って今もずーっと続けてます。

腹横筋をこの日はっきり「そう、これだよー」と教えてもらえたのは感激しました。

今まで「こうするんだよ」、と聞いて実行してはいましたが、合ってるのかどうかを誰も教えてくれなかったし、実際、人の身体の中のことだから『私しかわからないもんなのかなぁ?』とあきらめて(?)いたので 「いや、入ってないよ。。。うん、そうこれ」と、すごい明確に言ってもらえて ほんまにほんまに嬉しかったです。ピラティスの先生に、「ぜんぜんお腹の力使えてない〜」と言われていたので、私もちゃんと使える事を知れて嬉しかったです。

終わった後 やっぱり胸郭は広がっていました。

帰りしなに「広がるのは嬉しいけども、広がってもいいのかなって思う」と言ったら

「今までそんなに肩身の狭い思いをしてきたの?」と言われて 肩身の狭い思いをしてきた事に気づきました。私が摂食障害になったとき、私も家族も 自分の事で精一杯でした。

必死に「私の事に気づいて!苦しんでいるのに気づいて!」と訴えている時に

「おまえが生きていると金がかかる。もうかんべんしてくれ。」と
ばっちーんと 家族っていう糸を切られたようなことを言われました。

(父もとても苦しかったんだと思います。父も自分を守らなければならなかったんだと思います。)

ショックでしたが 私は未成年で 親に頼らないと生きて行けませんでした。

生きていても 金がかかる=めいわくがかかる。でも 消える勇気もないし かといってその頃は食欲を止める事も出来ず金はかかるしで、悲しさと苦しさとで小さく引き篭もっていました。

おばあちゃんのうちに居候できることになってだいぶ落ち着きましたが、鍵のかからない離れの(私にあてられた)部屋に「入ってこないで」と叫んでも何度も何度も入ってくるおじいちゃんが恐くて恐くて嫌で落ち着きませんでした。おじいちゃんがいる時は 気が狂うくらい嫌でした。でも、帰るところはなかった。

鬱にもなり、薬で死のうとしましたが致死量に足りず失敗したので 『生まれ変わったと思ってやれるだけやってみよう』と思いました。その時に『ここまで落ちても死ななかったんだから、もう大丈夫だ。』って思いました。そんで『ここからはどんどんわたしは良くなり続けていく』、というのが分かりました。(予感とかじゃなく確信よりも強い分かっている事でした)

安心できる場所が 誰のおかげでもない 自分の力で欲しかった。

はやく自立したくてたまりませんでした。

「してあげているんやぞ」「感謝しろ」と言われつづける環境が苦しかった。

私は誰にも迷惑がかからないように、そして誰も私をこれ以上傷つけさせないためにぎゅーっと私の空間を、胸郭を縮めていたんだと思います。

ここにいてはだめだ、と 思い 親から認められる正規の家出=他府県の大学か専門学校進学を目指しました。高校は通信教育で終了させて大阪に出てきました。

私は扶養される「子供」である自分にすごく嫌悪感を抱いていました。(今も現在進行形かもしれないですが、この頃よりは小さくなってきた気がします。)

はやく「大人」になって自立したかった。誰にも迷惑にならないように生きたかった。大人になりたくてなりたくてしょうがなかった。

だから今でも「若いねー」と言われる事や年齢を聞かれることに抵抗があるんだと思います。

初めて一人暮らしをしたとき 本当にほっとしたのを覚えています。

その出来事も私の胸郭を小さくしている原因ならば もう 手放してもいいんじゃないだろうかと思います。どうすればいいんやろう。。。はやく胸郭を安心させてあげたいです。

この日寛さんに「脚という概念は人間があとから創ったものだから、胸から下は脚と思っていいよ。というか どこから脚 というのは それすら判らなくなってゆくのが一番いいんだけれども。」といわれて以来、そうなったら面白そうだな〜そうならないかな〜と思いながら歩いています。歩くのが楽しいです。

あと あお向けで膝立てて、脚で床を押して緩めての背骨が縦にゆらゆらする動き、あれ、面白くて仕事の合間にゆっさゆっさしています。顔の力も抜けちゃって 口あけたまましています。たまーに 何この人 っていう感じで見られますが 気持ちがいいので止められません。。。かまわずやってます。また空き時間の楽しみが増えました。

寛さんに教えていただいた動きは気持ちがいいから好きです。『やらなくちゃ〜』じゃなくて『あ〜〜〜やりたい〜〜〜ゆらゆらしたい〜』と身体が言ってきます。前に寛さんに言われた「好きなようにしたらいいちゃう?」っていうのを思い出して(人の迷惑にならない時なら)『好きなときに好きなように身体を動かしてみよー』と思いました。『もっと身体に好きにさせたらどうなるのかなぁ? でも、好きにさせすぎるのもどうなのかなぁ』とかいうことを考えていました。

次の日

歩くのがさらに楽になっていました。

『こんな小さな力で動けていいんかな?』と思いました。ほんまに脚が長〜かった。

私のエネルギーのうち、ムーブメントに使われる割合が小さくなっていけば、レッスンの時 その分のエネルギーを他の事、参加者をもっと見るとか コミュニケーションをとるとかに使えるんじゃないかな? と思いました。『そうなったらエコやな〜ステキやな〜』と思いました。

そして胸郭の下部がまた広がっていました。お尻はぜったいちっちゃくなった!

ストレッチの時の気持ちいい〜度が増えました。より気持ちよく動けた日は、筋肉も気持ちい〜疲れ方をしてくれる感じがします。もしも S.I. を知らなかったら、受けなかったら、この後の人生どれだけ苦しいしんどい思いでしんどくうごかなあかんだやろうか。。。とぞっとしました。これから残りの S.I. や他の事を通じて もっと気持ちよーく動けたり過ごせたり考える事が出来ると思ったらほんま まちどおしいというか 楽しみで 有難いです。若いのは嫌いやったんですけど、寛さんがね、「癖はしつこいけど(私は)まだ生まれてから23年だから 大丈夫、そんなにしつこくないでしょう」と言ったのを聞いて『そっかラッキー☆』と思うようになってきました。若いって ステキ。笑

まだ少しダメだけど 自分らしくいられる時間 つくってない時間 背伸びしてない時間 そのままの私でいる時間 良く見せたいと意識してない時間が増えていました。

それはやっぱり寛さんに出会ってからだと思います。

寛さんは すごい気さくに接してくださるんですけど 私は。。。すごい人やと思っています。

人を恐縮させないのは すごい人やなぁと思います。

すごいのに 全然偉そうにしないので すごいと思います。

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6回目

立つ事 歩く事の日

脚が内旋する事とか、膝を曲げる時にいろいろ使わなくていいところを使っていることを教えて頂きました。つかわなくていいと言われた所はいつも固くなる所でした。身体を動かすのはきっともっといろいろ簡単な事なんだと思います。本当は。そんなことに気づけてむちゃくちゃラッキー。気づき続けていきたいです。

この日の「広がっていく事でバランスを取る」という言葉は大好きです。

やっぱり 広がっていく事に憧れがあるみたいです。

次の日

朝起きて身体が縦に伸びているのが分かりました。胸郭を見たらまた膨らんでます。

朝駅まで歩く時に、今まで気づかなかった脚をねじるくせに気が付きました。

『あれ?あたしなんでこんなひねって歩いてるんやろ?』と感じました。私がひねる事を癖にしていたことを身体が教えてくれた瞬間でした。

身体は そうやらなくてもいいことをたぶん昨日教えてもらっていて知っていたんだとおもいます。私が今までひねらせていた。

起きているときは私が身体の操縦士になってしまうから

寝ている時みたいに 身体にリードしてもらいながらというか もっと身体の声を聞いて動こう、ひねらないように歩こうと気をつけました。

この頃からまた『私はよくなりつづける』と感じてきました。

そして幸せが身体の中からやってくるのを感じました。

幸せが 身体の中から沸いて来ました。不思議な感覚でした

寛さんに会ってから トゲトゲしている所が少しなくなってきました

その証拠に仕事のときに日に日にみんながよく話し掛けてくれるようになりました。

いままですごいバリアしていたのかな。私は私のままでええやと思いました。

レッスンの時も、必要以上に笑わなくていいことに気が付きました。今まではレッスン最後に口が引きつっている事もあったのですが 今はないです。

その次の日もまだ胸郭が大きくなっている気がします。『胸郭のことは半分期待で半分無理でもしょうがないな〜』と思っていただけに ここまで変わりつづけている事は本当に嬉しかったです。

この頃から、寝て、起きたら身体が元気になっているのを感じました。

そういえば 私は S.I. を受けてからサプリメントを取らなくても平気になっていました。

今までは サプリメント依存じゃないけども、仕事柄絶対体調を崩せなくて、かかさず取らないと気がすまない感じで、お守りみたいに6種類くらい取っていたんです。でも お金はかかるし いつまでもサプリメントに頼りたくなくて S.I. をはじめる時に『えいっ』と勇気を出して止めてみました。

今は前よりも 身体が協力して治してくれているという感じがします。

サプリメントがなくなっても平気な身体になれてよかった。。。

また自然体でいられる時間が長くなりました。

思ったのは 寛さんに『うまーく引き出してもらっているな』ということです。

たくさん 聞いてくれて 聞き出してもらったから、こんだけ出てきた。

聞き出すというのは能力を引き出すということなのかも。

よくあやまっていたことを指摘された時から1回1回セッションを受けるごとに 「私」という芯が出来て、納得出来ない事を『わたしが我慢すれば済むことだから。。』と誤魔化さないようになってきました。

自分を大切に出来ている感じです。自分を縮めていない感じ、私の真ん中に『不動の私がいるような感じ』が以前よりもはっきりしてきました。

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7回目

口の中〜!の日

首と頭の付け根の話をしてもらってから、いっつも場所を想像しています。

そうすると 首だけでどうにかしようとしていた事に気が付いて、ぐう〜っと背中も動かしていくように気をつけるようになりました。がらがらうがいをよくやるんですけど にょき〜〜っ とおもいっきり身体をそらせながらうがいをするようになりました。『気持ちがいい角度はどこやろう〜』とか、『もっと胸ゆるくしたらどうなるやろ〜』とか思いながら、今も快適にうがいを出来るやりかたを実験中です。そういえば、身体、以前はこんなに反れなかったと思います。今は反っても全然痛くない。これも たぶんまえはどっか1箇所でどうにかしようとしてたんだと思います。腰とか。あ、ということはちょっと前よりも身体と仲良くなった場所が増えたという事だなー。嬉しいなぁ。

口の中をやってもらったあとはもう顔がふにゃふにゃでした。顔だけじゃなくて頭もすっきりしました。賢くなれそう。

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8回目

横向きの日

アコーディオンのように身体を動かしていくと、どこもしんどくないのに楽に頭がもちあがっていって、面白かったです。上手く使えば というか 体がどう動くか分かっていたらこうやって楽な動き方を選んで動けるようになるんだなぁと想像しました。『うわぁ、楽しそう。』

そして沢山お話をして頂いた日でした。

学ぶときは「楽しむ事が大事だよ」という内容でした。「小さな事を出来ていく事を楽しんでいたら、気が付いたら遠くまで行っているから」と言われて 安心しました。

けっこう思いが未来に先走りするほうなので、『もっと今の事を楽しまないと損だなぁ』とも思いました。

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9回目

歩くことの日

S.I. を受けているなかで、『もっと楽に歩けるんだ』と知りました。今日は 歩く練習と歩く時のイメージを教えてもらいました。この時はよくわからなかったんですが、この歩き方が わたしのくせを治す、というか、くせに気づかせてくれる歩きかたでした。

寛さんの言っている事や、やって頂いてる事、「練習しといて」って言われた事は、必ずそこに意味があります。言う時はさらっと、さらさら〜っとおっしゃるんですけど、とても大事なことを言ってはることが多いです。すぐには気づけない事が多いですが、何回も思い出すと『あぁそういうことだったのか〜』とか『こうゆう意味でおっしゃってたんかもしれんなぁ〜』とか思うことがよくあります。だからセッションは濃い濃い時間です。

この頃、ふと鏡を見たら 首のしわが無くなっていました! 驚き!『わーい!』

顔も小さくなった気がします。若返った。 S.I. はシワ取りクリームよりもきれいになります。

すごいですよね、心も身体もきれいになっていくなんて。『心も身体も縮めなかったら喜んでくれるんやなぁ〜』と感じました。

S.I. は週に1,2回の頻度でやりました。もちろんセッション当日の効果は一番ありましたが、次までの間の日に『あ』といろいろ考えたり思ったりやってみたり工夫してみたりすることが面白かったです。こうやって感想文を書いていると、『よくこれだけ色々感じていたなー』と感心します。こんなにも感情が沸き起こっている生き物なんだなぁ。


そういうふうに『ふっ』と思ったことは 力でどうこうするんじゃないなぁ、ということ。

「ここがつかえてない」とか「弱い」とかじゃなくて、もっと平和な「使いやすくするには」ということを考えたりとか、「体のほかの部分に助けてもらえないだろうか」とか、そうゆうことなんじゃないかなとかいうことでした。


あと、仕事でしっかり見られたいと思うより(私の中の勝手な『インストラクターはこうだ』、っていうものがあったけど)かわいがられてしまったり、いろんな対応をされても、『まぁーいいやー』と力を抜くほうが、案外楽しいし 集客も減らない。(逆に増えたかも。。。)ということ。力を抜いた分を コミュニケーション、アイコンタクトにとるほうが雰囲気がいい。『やっぱりお客さんは私をよく見ているな。』と思います。

呼吸で胸郭が広がるようになりました。呼吸で胸椎がうしろにカーブ(屈曲)するようになって、まるで中からセルフマッサージしてるみたいでとってもきもちいい。安心できました。

今まで、たぶんストレスで自分でギューっと胸郭を縮めて、縮められたくない身体は身体の中に物を入れて、それ以上縮まらないようにつめものをしてくれていたんだと思います。

身体は私を守ろうと、広げよう広げようと、つめれるだけ体の中に食べ物をつめまくってくれていたんかもしれません。だから 食べるとおちついたのかも。

だいぶ胸郭は大きくなってきましたがまだ完全でなくて『私の胸郭をへこましている原因はなんだろう一体』、と考えていました。

私のあらゆる所が上手く動かせるようになったら解決するのか、心の問題なのか、ただ胸郭が寝てるだけで起こせば膨らんでくれるのか、何なのか いろいろ思いました。たぶん、身体に向き合っていくという事は、そうゆうこと全部と向き合っていくことになるだろうと思って、そんなにいそがずに 何も心配せずに と言い聞かせて、寛さんとのセッションとか 毎日を楽しもう と心がける事にします。でもこの私の胸郭は、なんかひっかかります。これが広がった時、人生また変わると思います。広がるまでの過程が なんだかとっても大事な気がします。

「荷物を持つ時になるべく自分を縮めないように持ってみて」、と言われたので 実行していました。あといつも右で持つから左手でもつように気をつけていました。

しばらく経った日、気が付いたら左で持ちたがっている身体に気づきました。

『おっと。。。。なに、縮まりたくないの?(右胸郭)』っていうかんじで気づきました。

『やっぱりいつも体は知っているんだなぁ〜』『私の身体はとても賢いな』って思いました。

9回目終わったから(?) なんか身体の場所や形を想像しやすくなってきました。『頭蓋骨の形〜脊柱があって〜あ、脊柱ってでかいんだなぁ〜分厚いなぁ〜(胸椎くらいまではそう感じられるけどそこで切れて)骨盤〜』と頭に図が浮かびやすくなってきました。その図は解剖学的にあってるかどうかもわからないですけど、動く時にこの図をイメージできることでまた少し動きやすくなりました。

次の10回目までの間の日に歩く練習をしていましたが、難しかったです。でも『あ、上手く出来たかも』というときは『ん〜〜』っと色々考えて色々していない時でした。

きっと腕とおなじで、いつか 気持ちよく出来る時間が増えてくるんだろうなっ て思いました。

『訳分からない(見当がつかない)』『なんとなくこう?』『こう(コツをつかんだかも!)』『ふつう』に なってくんやろうな〜 『どんどん楽しく、楽になってゆくんやろうな〜』と想像したら楽しみでした。『きっと それは呼吸とか全てにあてはまる式なんだろうな〜』とか思ったら、『どうしよう〜どんどんすっごい楽しくなるかも〜』とわくわくしました。

はじめる時は10回終わった時どうなるか楽しみやったのに、9回終わったら 『S.I. あと1回か〜』と寂しかったです。 で 今までの事を思い出したりしていました。

私はセッションのなかで寛さんがお手本で動いてくれる動きを見るのとか 寛さんの身体を見るのが好きでした。(今もですけど)

寛さんは、すごい キレイ。脚や腕や胸とか『美しいなぁ〜』とよく見とれていました。

寛さんとお話させて頂いてから、人としゃべるときに素で話せるようになってきました。

大げさに言ったり、大げさに反応してみたり、愛想笑いしたりしたら、『あ、今の自分へん』ってすぐに分かるようになりました。

あと、人からの言葉をすぐに自分の中に入れられるようになって『ぽん』って自分の本当の言葉で返せるようになりました。

会話もトレーニングしてもらいました。(私にとっては)

S.I. は、変わっていけることを感じさせてくれるワークだなと思います。

S.I. を受ける前も日々変わり続けてはいただろうけど 変わるということに意識がいってないから気づきにくいし分かりにくい。実際 S.I. では目に見えて大きく変わるから分かりやすく、実感できる。実感できると 変わるということは面白いし 希望になります。1日1日、私は変わりつづけているということは、希望になります。

S.I. を受ける前は『日々の繰り返しでこの先どうなるんやろう』とか『成長してるのかな?』とか感じることもありました。でも、そのときも止まっているとおもっていたのは自分の頭だけで、身体も、私も、ちゃんと変わり続けてくれていたんだと思います。

いつも朝が来るように、しっかり変わりつづけてくれてる私に感謝しています。

なんて『頼もしい』と思いました。

やっぱり、私の身体は私を良く知っています。

この身体を、本当に大切にさせて頂きたいと思いました。

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10回目

身体を縮めたり伸ばしたり、縮めないように動いたりした日

身体の1部分ではなくて、身体全部で考えたり、位置のことを考えながらうごいたりすることを教えてもらいました。

「S.I. を受けてから目じりのしわがなくなった」と言ったら寛さんは、「しわが出来るのはいつも縮めているところ」といわれました。

寛さんは『固めていないから 若いんだ〜』と思ったら、『じゃああたしもずっと固めないでいたら若いままで、ぴちぴちでいられるかもしれない』と嬉しくなりました。

『頭もやわらかく固めてしまわんままおれたら面白いかも』『そのほうがいいかも』、とも思いました。

寛さんがはじめに「学ぼうと思っていないことを学ぶというのは難しい」と言ったけど、それは頭と心と身体が柔らかければ柔らかいほど、固まっていないほど 思ってもみなかったものを 拾いやすいと思うんです。

寛さんが「昔身体がとっても固かった」って聞いて意外でびっくりしました。

「それだけ からだのこと分かってなかったんや〜」って言ったのをきいて、

『そうかーー分かっていけばあそこまで美しくなれるんや〜。。。よっしゃ。』

ってまたまた嬉しくなりました。

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また素晴らしい体験談を頂きました。いつも明るく笑顔を絶やさないお嬢さんですが、内面でこんなに感じて成長して行っていたとは気づきませんでした。その取り組む姿勢に敬服します。お役に立てた事は僕にとっての喜びです。素晴らしい成果はEさん自身の取り組みに依る所が大きいです。この調子で、学んで成長し続けて行かれる事と思います。

S.I.や他の Somatic Education のワークでは、「からだ」を通してその使い方の改善に取り組みます。物理的なからだそのものに取り組むべき事、喜びをもたらす学が沢山あります。そして、気をつけていればEさんの様に精神や心理そして思考の面まで影響を与えている事に気づく事でしょう。「心を開くからだのレッスン」と言ってもいいかもしれません。

これまでも書いて来ていますが、各レッスンで何をするかは大まかには一緒ですが、クライアントの必要に応じて変わって来ます。また、僕が同じ事を教えているつもりでも、何を学び取って行くかは一人一人異なります。Eさんと全く同じ事を学ぶ人はいないでしょうが、それぞれユニークな学びになる事でしょう。身体の姿勢や動きの改善、パフォーマンスの向上、心理面精神面での改善など、それぞれの人が学びたい事を学んで行きます。どれだけ深く学ぶか、人生に役立てて行くかはその人の取り組み方次第だと思います。僕は、その人にとって意味の有る学びが有るようにと努めています。

それから、僕にとって Somatic Education は「からだ」を通してのエンパワーメント(empowerment)でもあります。感じている事に気づく事、自分自身の感覚を高めてそれに基づいて行動する事を促して、勇気づけサポートする様にしています。Eさんが自分自身の権威を取り戻して行く過程が見え隠れしている様に思います。とても喜ばしく素晴らしいと思います。

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からだ元気 こころ元気 Somatic Education    問い合せ    更新日 2005-11-13